くろばね紫陽花まつり

おくのほそ道 句碑めぐり

野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす

野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす

(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)

広々とした那須野の情景を詠み、ほととぎすの鋭い声のイメージが夏の野の風情を巧に表現しています。

【芭蕉 (光明山常念寺)】

夏山に 足駄を拝む 首途哉

夏山に 足駄を拝む 首途哉

(なつやまに あしだをおがむ かどでかな)

光明寺の役の行者像の健脚にあやかって、これからの道中の無事を祈った句です。

【芭蕉 (修験光明寺跡)】

かさねとは八重撫子の名成べし(かさねとは やえなでしこの ななるべし)

かさねとは八重撫子の名成べし

(かさねとは やえなでしこの ななるべし)

黒羽入りする日、後を慕ってついてきた「かさね」という少女の純情な心を詠んでいます。

【曾良 (西教寺)】

秣負ふ 人を枝折の 夏野哉(まぐさおふ ひとをしおりの なつのかな)

秣負ふ 人を枝折の 夏野哉

(まぐさおふ ひとをしおりの なつのかな)

「秣を背負う農夫を道しるべとしてやって来ましたよ」というあいさつの句で草深い那須の情景を詠んだ句です。

【芭蕉 (玉藻稲荷神社)】

今日も又 朝日を拝む 石の上 (きょうもまた あさひをおがむ いしのうえ)

今日も又 朝日を拝む 石の上

(きょうもまた あさひをおがむ いしのうえ)

余瀬で催された歌仙の中の句で、「石の上に立って今日も朝日を拝む行者の姿」を詠んだものです。

【歌仙・芭蕉 (明王寺)】

行春や鳥啼き魚の目は泪 (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

行春や鳥啼き魚の目は泪

(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

余瀬で催された歌仙の中の句で、「石の上に立って今日も朝日を拝む行者の姿」を詠んだものです。

行【芭蕉 (芭蕉の道入り口)】

山も庭も動き入るるや夏座敷 (やまもにわも うごきいるるや なつざしき)

山も庭も動き入るるや夏座敷

(やまもにわも うごきいるるや なつざしき)

ダイナミックなタッチで、黒羽の山河と浄法寺家の庭園の美しさを絵画的に表した句です。

【芭蕉 (浄法寺桃雪邸跡)】

田や麦や中にも夏のほととぎ(たやむぎや なかにもなつの ほととぎす)

田や麦や中にも夏のほととぎ

(たやむぎや なかにもなつの ほととぎす)

今眺める風景は、秋風の吹く白河の風景と違って風情はないが、夏のほととぎすだけが風情を感じさせてくれる。浄法寺家に滞在した四月七日に詠んだ句。

【芭蕉 (芭蕉の道の途中)】

鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし(つるなくや そのこえにばしょう やれぬべし)

鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし

(つるなくや そのこえにばしょう やれぬべし)

(絵の中で)鳴いている鶴よ。その声によって、(同じ絵の中の)芭蕉の葉も破り散ってしまうのでしょう。浄法寺邸において鶴の絵をほめる「讃」として詠んだ句。

【芭蕉 (芭蕉の広場)】

木啄も庵は破らず夏木立 (きつつきも いおはやぶらず なつこだち)

木啄も庵は破らず夏木立

(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)

尊敬する仏頂和尚の山居跡を訪ねたときの句。「和尚の徳の前にきつつきさえも敬意を払っている」というユーモラスな視点が光ります。

【芭蕉 (東山雲厳寺)】